あと24日。おひとりランチで振り返る
39歳最後の日まで、あと24日の今日。
おひとり様ランチを楽しんでいます。
新しいことにチャレンジしたり、今までの考え方をぐるんと変えてみる。
おひとり様らんちはそのひとつです。
家族と行くのも楽しいけど、ひとりで何も考えずただ自分の好みに集中できるのも楽しいです。
昨日の夜は、読書を遅くまでしてました。5時間ほどの睡眠時間ですが元気です!!
去年の私はほぼ廃人。
3ヶ月に1回は家出して、ビジネスホテルに泊まったり車中泊したり1人の時間を確保し『無』になってました。検索することは、楽に死ぬ方法。
なぜか出てくる涙を拭きもせず、ぼーっとしていました。
子供もいるのに!とか夫を置いて…なんて言葉をそのときの私にかけてしまった日には、
きっとこの世にもうおりません。
当時死ぬ勇気のない私は自分を責めつつ、
自殺してなくなられた方々を凄い!逞しい!と思っていました。
家にいることが嫌。だけど居なきゃいけない。
とにかく1人になりたい。疲れてる。
自宅に私専用の個室があるわけでもない。
だからつらい、死にたい。
最終的になんでもかんでもその2つに繋げていました。
明らかに心を病んでます。
病院に行こうと何度も予約の電話をしましたが、
精神科はどこも完全予約制。そして1~3ヶ月待ちは当たり前。病んでる時に診てもらえないこともまたさらに凹みます。3ヶ月前まで咳が出てました。今は元気です、みたいな事後報告ですめばいいですが…。
当時の唯一の居場所は職場でした。
職場ではいつも笑っていました。そして、元気でした。
ここまで書くと明らかに家に問題があるようにみえます。
私も当時は家が悪だと思っていました。
とりあえず、自分の居場所を。息のできる場所を。
そう思い、自分の部屋を自宅に作りました。
夕飯を食べたらそこにすぐに引っ込みます。
自分の時間を自分の部屋で自分のために使う。
最初は同じく死ぬ方法を検索。
10代であろう方のブログにたどり着き、同じ死にたい思いを吐露していました。激しく共感。同じように痛くない、苦しくない方法を模索していたようでした。
ブログの最後には家族が本人の遺言で…となくなられたことを書き綴っていました。
今の私は、まだ自殺はダメなこと!だと言えませんが、死にたい人というのは、たいてい死にたいのではなく、何かしらから逃げたいんだということではないかと思います。少なくとも私は何かから逃げたかった。今思えば全てのものから離れたいと思っていました。
その思考は元々の性格や気質、心身の不健康さなどが作り出したもの。仕事のストレス、いらいらしやすい性格、思春期の子供の対応。時間にも心にも、とにかく余裕のない私。回りに期待してしまう自分。
それが自分を追い込んでいったのかなぁと。
そんな中で、ある日
『よし!39歳の最後の日に死のう。』
と決めました。
まず、ビビリなので痛くない死に方を約1年でみつける。というのが目的。
いますぐどうにかなりたいっ!という強い自殺希とというのは、そんなに毎日24時間コンビニのように続いているものではないので(私の場合)、ちょっと正気の時に方法を模索しながら生きてみることにしました。
決して生きていたい気持ちはありません。
その頃子供の将来の姿も見なくていいと思っていました。私が死んだあとのことなんて知らねーよ、なんなら死ぬ前も。位の悪どい奴です。
とにかく、死に方を模索するための期間としてタイムリミットが39歳の誕生日前日、6月28日となったわけです。